八街の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

こんにちは ゲストさん 会員登録 | ログイン

歴史探訪

千葉県八街市歴史探訪
八街市の概要
八街(やちまた)市は、千葉県中央部のやや北に位置し、佐倉市・千葉市・東金市・富里市などと隣接しています。古くから農業中心の田園都市として歩みを続け、明治期の鉄道開通をきっかけに、農産物の集散地として発展してきました。
落花生やスイカに関しては、全国有数の産地として知られ、農業産出額は県内第2位となっています。
近年、その豊かな自然と都心50キロメートル圏内という好環境から、首都圏のベッドタウンとして人口が増加傾向を示し、企業進出も盛んになっています。

八街のあゆみ
八街は、幕府の馬牧場であった柳沢牧・小間子牧の開墾地を中心に、明治から昭和にかけて、隣接の町村の合併を経て形成されていきました。戦国期には千葉氏、江戸期には幕府が下総の牧を管理しており、幕府は当地を小金牧・佐倉牧に分けて運営しました。佐倉牧の中の柳沢牧と小間子牧が、現在の八街の一部に当たります。

明治時代初期、維新によって職を失った旧幕臣・武士階級の人々の多くが困窮を極めていました。そのため、政府は北海道開拓に代表されるような新たな農地の開拓を図り、士族の人々を農業や商工業へ就業させようとしました。千葉県では開墾会社によって小金牧・佐倉牧の開墾が始まりますが、作業は苦難を極めました。困難な荒地の開墾、過酷な自然環境のなか、多くの脱落者が相次ぎ、2年後に開墾会社は解散してしまいます。しかし、農業経験者による入植が再び開始されると、徐々に成果を上げるようになっていきました。そして、総武鉄道が開通し、これが八街の農産物集散地としての発展契機となります。

同じころ、八街では製茶業が最盛期を迎えます。防風・防砂のため、植えられていたお茶の木ですが、その後、八街全域に茶畑が広がっていき、八街園・松林園・同協社などの茶園は繁栄を極めました。特に、同協社は富山区に入植した元佐倉藩士らによって経営され、「富山の茶」として全国的にも有名になりました。
また、八街の主要作物となる落花生が導入されたのは、明治29年(1896年)のことです。落花生栽培は砂質土壌の干潟・旭地方が主でしたが、文違区・住野区でも栽培が始められると、大正から昭和にかけて急速に普及し、昭和24年(1949年)の落花生の作付面積は、約3200ヘクタール(全耕作地80%)を占め、日本一の生産高を誇るまでになりました。

八街村が誕生したのは明治5年(1872年)のことですが、その後、幾度の町村合併によって市制規定人口の5万人を超えたため、平成4年(1992年)に八街市へ移行しています。


八街の名前の由来
明治政府の政策によって、放牧地だった小金・佐倉両牧が開墾され、最初に開墾された地は初富と名付けられました。以降、開墾地には着手の順序と吉祥の意味をもつ文字を組み合わせた名が付けられ、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三の地が開墾されました。つまり、開墾が8番目だったことから「八街」と名付けられたのです。


八街の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 八街市郷土史料館
住所: 〒289-1115
千葉県八街市八街ほ800-3 [地図を見る]
電話番号: 043-443-1726
開館時間: 9:00〜17:00
休館日: 月曜日(休日の場合は翌日)、祝日、年末年始
入館料: 無料







特集

ケータイで無料釣りゲーム!

e-まちタウン携帯版で無料釣りゲーム「釣り☆タウン」が遊べる!

改行